新宗教について考える。

オグリン

2008年01月24日 14:19

知り合いの娘さんが創価学会に入会した。
心配であるが私の範疇ではない。
創価学会を新宗教(最近は新興宗教とはあまり言わない・・・イスラム教もイスラームと言われる事が多くなった・・・大昔は回教徒なんて名前だったし・・・・)の中であまり良いイメージがなく特異で排他的だと思うのは私だけではないはずだ。

最近ヤヤ柔らかくなったとはいえ、外部への非常に強い行動力・・・いわゆる活発過ぎる【布教活動】と、公明党&聖教新聞などを利用した巧みな布教・思想戦術・・・。
で、それらに接して考えるに・・・・どうしても穏健派とは思えないないからだ。

では、なぜ、新宗教の中で【創価学会】が特異な排他的団体だと思うのかと言うと。
その一つとして、【日蓮系】である事も大きな要因であろう。
私は若い時分に創価学会の【折伏】を受けた経験がある。

昔から宗教オタクだった私はいろいろな新宗教を自分で体験するべく訪問していた時期があった。
二十代前半の頃であるが・・・。

私が受けた・・・その【折伏】は凄まじいものであり・・・・【創価学会】と【日蓮】と【法華経】以外は一切否定。
まるで、日蓮の霊がその人物に降りて来て、私に【立正安国論】の講義をしていろような有様だった。
未熟な私は全て論破されかなりのトラウマになり屈辱に悶えた・・・若さである。
自分ではかなり宗教の勉強をしていたつもりなのに・・・・ショックだった。
その翌日から宗教の勉強をした。
宗教本の他に【創価学会】の批判本も徹底的に読んだ。
そして、【創価学会】のそいつを論破し返した喜びはいまでも覚えているが・・・・。
馬鹿だね、と、今はシミジミ思います。

いろいろな新宗教の経験は一々ココでは述べませんが・・・・・。
私の若き日の結論は・・・・・信仰なんていらない・・・・・・でした。

今は、というと。
私に無理強いしない宗教で【安全】ならどうぞご自由にというとこが目下の気持ちです。
相変わらず信仰心はゼロに近く霊魂の存在は否定しています。

しかし、これも大いに矛盾なのでありますがいまだに宗教は大好きなのです。
神社・仏閣・巡りをやり・・・それらの本も読み漁り・・・教祖の本も多数所有。
もちろん【般若心経】ぐらいは諳んじられますヨ。

恐れながら・・・・ここで、私と同じご意見と思われる・・・・。
あの直木賞作家の大先生・・・【浅田次郎氏】のエッセイ。
『勇気凛々ルリの色』
から、以下引用にて私の言葉とかえさせて頂きます。


宗教家の宗教家たる所以は、世の終わりを説き、秘蹟を顕しながらもなお、信者たちに【普遍の幸福】を与えようと努力してきた点にある。
                                 中略

つまり、釈迦やキリストがあえて世の末を語り、秘蹟を顕さねば救いようのなかった人々など、少なくとも今の日本にはめったにおらず、実はみな既に【普遍の幸福】を生まれながらにして享受しているのである。

                                 中略

だから私は、新興宗教の存在そのものよりも、あえて新たな宗教を起こそうとするその動機を疑うのである。
彼らの教義を良くはしらない。
しかし信徒のひとりひとりに約束された【普遍の幸福】を寄進させてまで、さらなる幸福を与える力が宗教にあろうとはどうしても思えない。
仮に既存の宗教が決してなしえなかったパワーがそれらの教祖様にあり、祈り信ずればさらなる幸福が約束されるとしたならば・・・・・・それは祈りさえすれば煩悩までも満たされるという悪魔の教えだ。


とはいえ。
『信じるものは救われる』
わけですから。
救われて頂きたいものです。