父の命日。

オグリン

2008年03月06日 12:58

本日(3月6日)は父の命日です。
信仰心のカケラもない私ではありますが・・・・。
父の好きな百合の花を毎年お墓に供えします・・・。
弟夫婦もきっと百合の花を手に・・・・お墓参りをしてくれることでしょう。

父と私とは縁が薄く、モノ心ついてからの父の記憶はたったの二回しかありません。
一回目?一番古い記憶は、私が幼稚園の時に父が母の実家へ来た時?らしい???

実は、先回詠んだ句はこの時の記憶を元にしたものです。
http://ogurin1020.naturum.ne.jp/e418607.html#comments


二回目、これが最後の記憶となるのですが・・・・私が29歳の時です。

武蔵境の赤十字病院で・・・・末期癌でベッドに横たわる父・・・・・・・。
私が行った日は奇跡的に持ち直し・・・しかし、その一週間後に他界しました。

葬儀は、父の最期の奥さん(3人目)がクリスチャンでしたのでキリスト教(プロテスタント)でおこないました。
父も自ら洗礼を受けていたとの事です。

荘厳で慈愛に満ちた清楚なキリスト教の葬儀に感動したものでした。


形見分けになり、その奥さんから【母子手帳】を手渡されました。

『カ○ヤ(私の名前)さん、この母子手帳は主人に残された唯一のカ○ヤさんだったのヨ』

私は最初、何の事かサッパリわかりませんでした。


【理由】はこうなのです・・・・・・・・・・。

私の母が、
横浜から実家へ離婚目的で父に内緒で戻る時に、
義父母(私の祖父母)に約束したそうです・・・・・・。
私を思い出すものはすべて持っていく事、
もし残されたものがあれば祖父母が処分する事。
残される父を可哀相と祖父母は思ったのでしょう。
父以外は皆知っていた用意周到で計画的な退散劇だったようです。

ゆえに、私の物は何もなかったハズなのですが・・・。

唯一、残されていたのが、私の母子手帳だったのです。

入退院(父は癌の為に何度も入院をした)のたびに、
父はこの母子手帳を必ず身につけていたとの事。
『これがあればカ○ヤといつも一緒だ』と、言っていたとか。


私はその母子手帳を握り締め、
肩を揺らして泣きました。
いつまでもいつまでも泣きました。

元気なうちに意地を張らずに会っていればと思いました。
人生でたった一つの後悔かもしれません。

また、弟を残してくれた事に感謝しました。

『お父さんありがとう、何もしてあげれませんでしたが・・・・・』
何度でも何度でも言います。
『お父さん、ありがとう』
『お父さん、ありがとう』
『お父さん、ありがとう』