2009年01月30日
真夜中の相談者。
寝不足。
マジ、眠い。。。。。。。。。。。
夜中にケータイが鳴り・・・起こされる。
あ、オイラの夜中はAM0:00~。
このごろは遅くてもPM11:30には寝ますんDE。
起こされた相手は古い知人。
。。。。。。友人ではない。。。。
で、相談がアルとかで・・・・。
よぅ~は、金&女&友達の話。
相談と言うよりは・・・・報告。
【金】は【愛】&【友情】に必要ではアルが・・・。
すべて、金ではナイ。
人によっては99%金で1%が金で買えない、と!言うかもしれない・・・。
ま、それもアル意味、正しいです。
感覚の問題ですからネ~♪
はい、人それぞれですが・・・・・。
すべて、金で解決できないから人生は面白い。
と、言うことをワカラナイ?
ワカロウトしない?????
こんだけ金つかってアレ買ってコレ買って旅行連れて行って・・・・。
・・・最後に・・・必ず・・・【ヤッテ】がつく。
はたしてすべて相手が望んだことなのか???
疑問デス。
ね~。
金もつかってさらには情も・気も・愛?も・・・つかわないとナァ。
なんて、ネ。
わかんないヤツに何を言っても仕方ないから・・・・。
『金の使い方が足りないんじゃないの?』
って言ったら・・・・もう、おまえには相談しないってSA。
ARIGATAI。
ありがたい♪
で。
最近観た映画でこ~んなシーンが。
主人公(性格上の問題で友人が出来ない)とビジナスパートナーが愛や友情・・・。
見えないものについて語っている・・・。
パートナー曰く。
『ある人が、愛はない・・・・アルのは愛の証だけだ・・・・と、言ったけど、私は逆だと思う・・・・証なんてナイ・・・・愛がアルだけ・・・・』
名言です♪
ホロリときました。
で~、思い出したのがこの話。
興味のない方はスル~してね。
宗教の話。
「未徹在」って言葉があります。
未徹在とは・・・・・いまだ徹せずの意味、まだまだCHU~事ですが・・・。
この言葉の話。
一遍上人(1239~1289)が若い頃、法灯国師に参禅した時の話。
念仏の消息を問われた一遍上人は、
「となうれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして」
と法灯国師に見解(けんげ)します。
しかし、『未徹在!』(まだまだ)と一喝されます。
更に修行に励み・・・・。
「となうれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」
と見解(けんげ)します。
前回の「となうれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして」というのは自分が声を聞く立場。
本当にまだ自分の南無阿弥陀仏と声が一体になっていない。
この自分、この自我が落ちなくてはならぬ。
そのために、一遍はすべてを捨てた。
だが、まだ自分が残っている。
さて、これを捨てるのは、たいへんな難行である。
再度、修行を続けた。
今度は、「となうれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ仏」、
本当に「南無阿弥陀仏」に一遍上人がなりきっている状況を上手に表しています。
それでも法灯国師は、「いーや、私ならそうは云わない」と話されたそうです。
【となうれば我も仏もなかりけり裏のお池に風がそよそよ】
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とまだ云っている内は、「南無阿弥陀仏」は本当ではない。
池の上をそよそよと吹いている風、そういうものに一体化してこそ、初めて「南無阿弥陀仏」が生きてくるというわけです。
「心」の波の静まる様子がよくわかります。
某所よりの引用ですが。
捨てて見えてくるものが大切では?
で、目に見えるものがすべてではない。
な~んて。
(^_^;)
Posted by オグリン at 13:06│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。