2010年02月04日
2/4【大石忌/おおいしき】
陰暦二月四日。
京都祇園においては三月二十日。
赤穂義士、大石内蔵助良雄/おおいしくらのすけよしたか・・・・の忌日デス。
(1659年~1703年)

ご存じ忠臣蔵。
赤穂浅野家筆頭家老。
この日、大石をはじめとする義士すべてが切腹しました。
ゆえに、赤穂義士は、伝説の中で永遠に生きる存在となったわけです。
元禄16年(1703年)没。
45歳。
【大石忌】
叔父の僧姪の舞妓や大石忌
松本たかし
酔ひざめの頬杖はづれ大石忌
鷹羽 狩行
大石忌梅一輪の桂籠,
須賀遊子
大石忌祗園の宵の春浅き
多田莎平
赤穂義士の中には俳人が多く。
特に大高源吾は高名で、俳号を「子葉」(しよう)と言い、句集(ふたつの竹)も発行しています。
他、小野寺十内は俳号を「里龍」、茅野和助は「禿峰」、神崎与五郎は「竹平」、寺坂吉右衛門は「万水」、冨森助右衛門は「春帆」、間重次郎は「如柳」、原惣右衛門は「来水」、吉田忠左衛門は「白砂」デス。
【初鰹江戸の芥子(かいし)は四季の汗】と言う、大高源吾「子葉」の句がありますが・・・・。
子葉は宝井其角の門人でもあったらしく。
其角の句に、【うぐひすに此(この)芥子酢はなみだ哉】とありますが、子葉の切腹を悲しみ【芥子】にかけて愛弟子の「子葉」の為に詠んだ句だと言われています。
子葉を偲び「子葉忌」を季語として俳句を詠む方も多いです。
大高源吾「子葉」の辞世の句。
【梅てのむ茶屋も有へし死出の山】
*芥子(かいし)は辛子と同じ、カラシナの種子の事。
大石内蔵助の辞世の句。
【あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし】
Posted by オグリン at 08:25│Comments(0)
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